はじめまして。ブログへのご訪問ありがとうございます。
汚部屋、毒親育ちで自己肯定感が低い30代。婚活の末、結婚。4歳の子どもがいます。
片付けられない、料理できない、学歴ない、子育て分からない、常識が分からない、できないことだらけですが、なんとか普通の人ぶって母親してる。
ブログには、吐き出し、雑記など色々書いてますが、ブログも整頓できていません。
汚部屋、毒親育ち
母子家庭、毒親育ち
母と父はわたしが小学校3年生の時に離婚をしました。ですが、父と会えなくなると知っても寂しいと思うことは一度もなかったです。あまり父との思い出はありませんが、子どもながらに気を遣うことが多く、これで苦手な人と関わらなくて良いんだなと思っていた気がします。離婚後、月に1度、面会日がありましたが、本当に嫌でした。
父は子どもに厳しい人で一緒に暮らしていたときは、子どもは牛乳と麦茶しか飲むことを許さず、ジャンクフードやインスタント食品、お菓子はNG。興味のない図鑑や本を買い与えられていたので、頭の良い子に育てたかったんでしょうね。その本を一緒に読んでもらった記憶はないのですが。
父から手を出されたことはないですが、父の思い通りにならないと、「ビンタするぞ!」と脅されていました。
離婚後、養育費を成人するまで支払い続けてくれていたので、それは本当に感謝しています。それがなければ、きっともっとひどい人生になっていたし、今生きていられたかどうか分からない。
母は離婚後、実家に戻り祖母(母の母)と一緒に暮らす日々が始まりました。
今わたしが生きづらさを感じているのは、母と祖母のせいだと思う。20代の頃、成人しても親のせいにするなんて間違っている、自分が全て悪いのだと思い大いに苦しみました。
世の中には、もっと酷い親もいる。物を投げつけてくる、家の外へ締め出す、知らない道に置き去りにするなどということはありましたが、直接、暴力を振われたことはない。そんなわたしが、親に傷付けられたせいで生きづらいというのは、人のせいにしているだけなのではないかと思っていました。
今、子どもを育てていて、幼少期の親との関わりが子どもの基盤を作っていることを実感しています。子どもは無条件で母親であるわたしのことを愛してくれる。それに親が応えてくれなかったら、簡単に心は壊れる。幼少期にしっかりとした基盤が作られなかった子は、成人しても高齢になってもきっとずっと生きづらい。
子育てをしていくうちに、わたしが生きづらいのは親のせいにしてもいいのだと思いました。
「育児は育自」とよく言いますよね。わたしも子育てを通して自分を育てるというか、嫌でも自分が子どもの時はどうだったか思い出すことが増え、向き合わなければいけないなと思うようになりました。
母のことを考えると頭の中がぐちゃぐちゃになるので、少しずつ記事にしていくことでどう関わっていけばいいか考えられればと思っています。
汚部屋育ちなので、片付け方が分からない
初めて一人暮らしをした時、実家から持ってきたわたしの荷物は全部カビ臭くて驚きました。実家に住んでいるときは気がつかなかった。服も家具も布団も、全部カビ臭い。
わたしはずっと周りの人から「カビ臭い人」だと思われて生きてきたのかと思うと、本当に恥ずかしかったです。
確かに実家は湿気で壁紙が剥がれ、壁の下地部分にはカビが生え、それが丸出しになっていました。洗面もお風呂も黒カビだらけが普通。ずっと、それが当たり前だったので気にしたことがなかったです。ただ、子どものころ自分の傘はよく錆びるのに友達の傘は錆びていないことが不思議だったのですが、これもきっと異常な湿気のせいだったのでしょうね。
家の中は常に散らかっていて、掃除もほとんどされていませんでした。
母の母と父(わたしの祖母と祖父)も毒親だったので、母もきっと掃除の方法や片付け方が分からないまま親になったんだと思います。
一人暮らしを始めてから、掃除の方法を調べたり、片付けたり、ものを捨てたりなんとか普通の暮らしができるようになりたいと色々試してきました。調べたり実践したことはブログの記事に書くことでモチベーションを維持しています。
ブログを始めたきっかけ
ブラック企業に勤務
学歴がないので、まともな会社で働けたことの方が少ないのですが、その中でも群を抜いてブラックだった会社に勤めたことがブログを始めたきっかけになりました。2度とあのような会社に勤めたいとは思いませんが、今では勤めてよかったと思っています。
そのブラック企業はWEB制作をしている会社でした。職業訓練でHTMLとCSSを少し触ったことがある程度で何故か入社することができたのですが、サービス残業当たり前、終電に乗れない(会社や漫画喫茶で寝泊まり)、備品の購入の立て替えを社員がするなど環境も最悪。
社長が気まぐれに出社し、出社したかと思えば、些細なことで怒鳴り散らすので、業務に支障が出まくる日々。
どの社員も自分が社長の標的にならないよう、人に仕事やミスを押し付けあう最悪な環境で気を抜けない。誰も信じることができず、心を許せる人がいませんでした。
WEB制作会社に入社したものの、素人だったわたしはほとんどの雑用を押し付けられていました。社長の盆栽の世話や、神棚の水換え、社長のペットのお迎え、社長の引っ越しの住所変更手続き、社長個人の携帯電話の解約手続きなど仕事と呼べるのか謎なものまで。
肝心のWEB制作については直属の上司がわたしの入社後すぐ移動になり、上司不在で自分で調べながら業務を行い、間違っていたら、みんなの前で詰められる。それを繰り返しているうちに少しずつ、WEBに関して分かることが増えてきました。
ブラック企業を捨て、28歳で転職
28歳、学歴も大した資格も持っていないわたしが転職に成功。
初めての職種で社員がわたしを入れて5人の超零細企業でしたが、ちゃんと挨拶を返してくれる人しかいない健全な会社でした。残業はほとんどなし、たまにあっても残業代もちゃんと出る。夢にまで見た、まともな会社です。
しかも、パソコン操作ができる人があまりいなかったため、ちょっとしたパソコン作業で褒められるような環境。会社のお金で勉強させてもらえる機会までいただいて、その業種の資格をとることができました。
その会社では、会社のホームページの更新作業を全社員が行っていたのですが、前職でSEOについて学んでいたのでそれを生かして更新作業をしたり前任の方の投稿を手直ししていると、ホームページからの集客がアップ。
これはわたしがすごいのではなく、サイト制作会社の方が良いサイトを作ってくださっていたのに生かしきれていなかったからなのですが、一緒に働いていた人たちから褒めてもらえることが増え自信が持てました。
会社のホームページはそれからも順調に集客ができ、会社での居場所ができたところで、自分でブログを始めたらどのくらいの人がアクセスしてくれるだろう?と思うように。はじめは自分一人でどのくらいできるのか興味本位だったのですが、一からブログを作っていく作業は思っていたより楽しくてマイペースに続けています。
文章を書いて一つの成果物として公開すると、すごく達成感があって。それを積み重ねたらもっと自信を持って生きていけるようになりそうな気がしています。
断捨離
ブラック企業を捨てた(退職した)ことで、良い勤め先が見つかり、念願の一人暮らしを始めることができました。それから婚活を始め、結婚。
何かを手放すと、新しい何かが入ってくる。
それに気がついてから断捨離に力を入れるようになりました。ですが、生粋の汚部屋育ち。ブログを始めた2015年から断捨離していますが、まだまだ片付けが終わっていません。最近では、死ぬまでに片付けられるのか不安になってきました。
歩みは人より遅いですが、今が一番人間らしい生活ができていると思っています。コツコツ、これからも続けていきます。
さいごに
自分のブログだからこそできる自分語りになってしまいましたが、普段は普通の人のふりをして生きてます。過去のことは話しません。夫にも全部は話していない。こんな話されても楽しくないですもんね。
ですが、自分の中だけに留めておくと、不意に苦しくなったり動けなくなったりするんです。なので、このブログで好き勝手、書いて気持ちを落ち着けて生きてます。
雑記の記事については、自分で調べたことやってみたことを書いていますが、過った情報があればコメント欄よりご指摘いただければと思います。さいごまで読んでいただきありがとうございました。